新修 福岡市史 ブックレット・シリーズ
金印と倭国の成立
A5判 208ページ 並製
定価 2,200円 (消費税 200円)
ISBN978-4-87035-848-5 C6021
在庫あり
書店発売日 2026年04月30日 登録日 2026年03月31日
解説
弥生・古墳時代の対外交流。朝鮮半島や中国など大陸との対外交流史を中心に、弥生時代~古墳時代さらに飛鳥時代に至るまでの福岡の歴史を、考古資料から探る。
紹介
弥生・古墳時代の対外交流
朝鮮半島や中国など大陸との対外交流史を中心に、弥生時代~古墳時代さらに飛鳥時代に至るまでの福岡の歴史を、考古資料から探る。
目次
プロローグ
第1章 農耕社会の始まり
第2章 青銅器の到来
第3章 鍛冶と長距離交易
第4章 中継交易拠点としての福岡平野
第5章 沖ノ島祭祀と福岡平野
第6章 那津官家と筑紫大宰
エピローグ
前書きなど
福岡を含む北部九州は、先史社会から近代まで大陸から日本列島へヒトやモノが行き来する門戸として、日本の歴史を牽引してきた場所である。おおよそ38,000年前に日本列島に始まる旧石器時代は、世界的にみれば石刃石器からなる後期旧石器時代にあたる。この段階に大陸から人が渡ってきたのであり、日本の歴史が始まっている。その人や石器文化が日本列島に渡ってきた主要なルートの一つが、朝鮮半島から北部九州へのルートであった。
11,000年前の最後の氷河期が終わって以降、温暖化に伴い海面がおおよそ120m上昇していく。旧石器時代終末期に生まれた縄文社会は、環境変動に立ち向かい、縄文土器を生み出すとともに、狩猟に加え、植物採集や漁撈など季節に応じた多角的な生業を営んだ。6,500年前の縄文時代前期には、海面上昇のピークを迎える。これが縄文海進期であり、現在とほぼ同じ海岸地形が生まれていく。私たちが知っている日本列島の地形は、この時期から始まったのである。この間、九州と朝鮮半島は日本海や東シナ海によって隔たれることになる。しかしながら、縄文時代早期末から後期前半までは、朝鮮半島南海岸と北部九州において、九州の縄文土器と朝鮮半島南部の新石器時代土器が僅かながらも相互に認められる。海を隔てながらも、外洋性漁撈を通じた相互の人の往来が僅かに存在したのである。
縄文海進期以前の縄文時代早期には、南九州を中心とする貝かい殻文系土器文化と近畿・瀬戸内から広がる押型文土器文化・条痕文土器文化が九州山地を境に交錯していた。このように九州の縄文文化は、九州山地を境として西側の西北九州から南九州までの固有の縄文文化と、その東側の瀬戸内・近畿系統の縄文文化が、グラデーションを見せるように紀元前2000年頃の縄文時代後期の始まりまで続いていた。
関東・中部高地では、環状集落の出現にみられるように、縄文時代前期には定住生活が始まっているが、九州縄文社会では季節的な移動を伴う半定住的社会が縄文時代前・中期まで続き、縄文時代後期の始まりから本格的な定住社会が始まっている。そして、これまでみられた九州島を東西に分ける土器文化が統合され、縄文時代後期中葉には西日本を一体化した縄文土器様式に変化している。西日本を一体化した情報ネットワークが生まれたのである。この時期、関東・中部高地の縄文時代中期に生まれたダイズ・アズキの栽培が、打製石斧とともに九州へと伝播していった。
この時期を、九州の成熟園耕期第1段階と呼ぶが、新たな食料源の獲得は集団規模の拡大を招いたのであろう。集団のまとまりのための祭祀道具として、土偶や石棒が九州に登場するのもこの時期である。
しかし、一方ではこの時期から朝鮮半島の対外交流を示す要素は全くみられなくなる。朝鮮半島の無文土器社会では、水田や畑を持った灌漑農耕社会がこの時期から成立していた。狩猟採集社会を基盤とする縄文社会には、無文土器時代人は興味を示さなかったのである。磨製石鏃を含む大陸系磨製石器を使い始めた無文土器時代人にとって、新石器時代まで使っていた打製石鏃などの素材である佐賀県伊万里市腰岳の黒曜石を交易する必要がなくなったのである。
再び朝鮮半島の文化要素が北部九州に認められるのが、縄文時代晩期中葉の黒くろ川かわ式からである。この段階の交流は、縄文土器である黒川式土器に、朝鮮半島無文土器前期の孔列文土器の文化要素である孔列文が施されるところに見いだされる。これはそれまでにみられた朝鮮半島南部と北部九州の相互の交流ではなく、一方向的な交流である。すなわち朝鮮半島南部の無文土器時代人が渡来した可能性がある。これは、この時期の一時的な寒冷期による食料作物の生産力の減少によって、無文土器時代人が新たな農耕地を求めて移住して来たためであった。しかし、この時期の縄文社会における無文土器文化による文化変容は認められない。続く刻み目突帯文土器前期の江 辻SX1式期から、土器圧痕分析や潜在圧痕分析によって、コメやアワの存在が明らかとなっている。黒川式時期の朝鮮半島無文土器文化の影響で、コメやアワなどが北部九州にもたらされたのであり、黒川式時期からコメ・アワの穀物が出現していた可能性がある。既にダイズ・アズキの栽培技術を持っていた縄文人は、この段階でコメやアワの栽培を始めた可能性がある。これが縄文時代の成熟園耕期第2段階の変化であり、縄文時代晩期農耕の始まりであった。北部九州の縄文社会でダイズ・アズキ栽培と同様に、コメ・アワの栽培が補助的食糧として始まったのである。(「プロローグ」より)
著者プロフィール
宮本 一夫(ミヤモト カズオ)
四川大学文科講席教授、九州大学名誉教授。1958年島根県生まれ。京都大学大学院修士課程修了。
京都大学助手、愛媛大学助教授、九州大学教授を経て現職。
2005年より福岡市史編集委員会編集委員および考古専門部会部会長に就任。
著書に『東北アジアの初期農耕と弥生の起源』(同成社、2017年)、『東アジア青銅器時代の研究』(雄山閣、2020年)、『東アジア初期鉄器時代の研究』(雄山閣、2023年)など。
2003年、第16回濱田青陵賞を受賞。2018年、アメリカ芸術科学アカデミーの外国人名誉会員に選出。
福岡市史編集委員会(フクオカシシヘンシュウイインカイ)
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