わが戦わざりし戦記≪ソ連抑留の思い出≫
A5判 342ページ 上製
価格 4,400円 (消費税 400円)
ISBN978-4-911429-29-7 C0095
在庫あり
書店発売日 2026年09月30日 登録日 2026年09月17日
紹介
生き延びなければならない。──本能のみが彼を支えた。
1945年、平壌で軍事捕虜となり、強制連行されてユーラシア大陸を横断、遥かウクライナ(旧ソビエト連邦)へ。
零下40度の荒野での重労働、飢え、明日さえ見えぬ暗闇──
半世紀を経て綴られた3年間のシベリア抑留記。
目次
刊行にあたって[編者]
[地図]われらの長征/朝鮮半島/ハリコフ周辺
*
一 終 戦
二 籠の鳥(三合里の生活)
三 平壌から興南へ
四 興南にて
五 シベリアへの道
六 本格的捕虜生活へ
七 ユーラシア大陸横断
八 地獄のロガン
九 ハリコフ菓子工場
十 教会跡の収容所
十一 ハリコフ戦車工場
十二 療養の日々
十三 メシアゲ、カンチャイ
十四 東への道
十五 ダモイ(帰国)
年 譜
あとがき
移動記録(手記より)
米谷勲経歴
*
米谷勲との思い出
[梅見しずえ/佐藤広子/米谷千里/藤津淳子/瓜生惠美子/
米谷英資/有馬総子/萩原幸枝/武田敏江/米谷奈津子/
顯二の句]
人名索引
前書きなど
大東亜戦争が終わる直前の昭和二十年八月九日午前零時、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告。満州・北朝鮮へ一斉に武力侵攻を開始し、さらに南樺太及び千島へ侵攻した。正規編成の部隊を次々に南方作戦に引き抜かれ、弱体化していた日本軍は、強大なソ連軍の敵ではなかった。
日本は六日後「ポツダム宣言」を受諾して敗戦。
朝鮮は北緯三八度線で分断され、たまたま北部(平壌)に駐屯していた我々は、満州の関東軍将兵と共にソ連の軍事捕虜として抑留生活を体験させられた。その毎日は不安と苦しみ、さらには飢えとの闘いの連続であった。この苦闘に耐え切れず多くの犠牲者も出た。
平壌を基点に、三合里・興南を経てシベリアの野に、さらにはウラルを越え故国を距る一万二〇〇〇キロメートルの彼方ウクライナの地を転々し、酷寒に耐えあるいは炎熱の荒野で、強制労働に明け暮れたその毎日を語るには、余りにも暗く余りにも哀しい。
併し取り返しのつかぬ、かけがえのないあの三年余(軍隊から通算すれば、五年八か月)が、歴史に無視されたまま埋もれてしまう……そんなアホなことがと、ひとり歯ぎしりして、四十余年が過ぎた。(略)
自分を振り返ってみた時、そこには戦争だけしかなかったことに気が付くのである。好むと好まざるとに拘わらず、それが青春のすべてであった。 (「あとがき」より)
著者プロフィール
米谷 勲(ヨネタニ イサオ)
1921(大正10)年、福岡県生まれ。1943(昭和18)年に出征。終戦後、シベリアを経てウクライナへ強制連行され、約3年間の抑留生活を送る。帰国後は会社員として勤務。1989(平成元)年より手記の執筆を始め、1992(平成4)年完成。2007(平成19)年没。享年86。米谷 奈津子(ヨネタニ ナツコ)
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