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何度でも「暗河」を訪ねよ

2023年6月23日

 

弦書房 小野静雄

 

1973年秋号(10月1日付)として「暗河(くらごう)」という雑誌が創刊されている。この雑誌は、当時、水俣病闘争の拠点となった熊本市の「カリガリ」店主・松浦豊敏と、闘争の思想的指導者・渡辺京二、そして水俣病患者たちの心の声を初めて言葉として表現した石牟礼道子の3人が中心となって刊行された。時代は高度経済成長期から安定期へ向かい、何事も東京が文化の中心、地方は東京に顔を向けて物事を考えよ、といった空気が全国各地を覆っていたのではないか。そしてその空気は、50年経った今も基本的には変わっていないように思う。

1973年当時、東京人が「日本」と言ったとき、その意識の中に北海道、東北、九州、沖縄は含まれていないのではないか、と鋭い洞察を示した人がいた。島尾敏雄である。だから「ニッポン」と言わずに「ヤポネシア」(島尾敏雄の造語)と言うべきではないかと提言している。視野を広げて深く視よ、ということだろう。東京も含めた各地には、その地方独自の文化があり、それを自信をもって発信していけばよい。他の地方にさきがけて、そのことを熊本に腰をすえて発信しつづけた雑誌がこの「暗河」である。

本づくりの作業で何度も試行錯誤をくり返し、思考が行きづまったとき、「暗河」創刊号の「編集後記」を読み返す。そこには、発行人のひとり渡辺京二の筆で次のように書かれている。

「われわれは別に地域主義を奉じるものではない。……われわれは本質的な仕事をしたいのであって、九州ということにことさら意味をつけようとは思わない。……本質的な仕事、それを状況論的にあるいは運動論的に規定しようとしてもむなしい。要はこの雑誌の執筆者として私がどんな仕事をするかということしかない」(抜粋)

創刊号の表紙は、菊畑茂久馬の『天動説』シリーズの「ポケット」を掲載している。目次には石牟礼道子「西南役伝説㈠」、渡辺京二「ドストエフスキイの政治思想(上)」、松浦豊敏「越南ルート」、上村希美雄「宮崎兄弟伝㈠」などがみえる。後に単行本化され、それぞれ話題になった。

考えてみると、先人たちが遺した「本質的な仕事」の中に、継承すべき種がある。「暗河」の頁を眺めながらその思いを新たにした。本の素材はその萌芽として過去の歴史の中に眠っている。それに気づくか気づかないかは、われわれの探求心の強さにかかっている。

なお、「暗河」の全巻(1号~48号〈1992.8.10刊〉)が、東京の出版社から復刻刊行されるようだ。昨2022年春頃、小社にも問い合わせがあった。そしてまだお元気だった渡辺京二さん(2022年12月25日逝去)にも解説の依頼が来たとのことである。

 

 

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